「ヒモ」になるということ
今回は「ヒモになる」ということで、
僕自身の世界観や人生観について
ちょっとだけ共有させて頂ければと思います。
念のため先に言っておきますが、
これから述べる僕の意見に対する、賛否に関しては
あまり興味はありません。
ただ、僕の意見を聞いて自分たちの人生についてちょっとでも…
ほんのちょっとでも考える時間が出来れば、
それで幸いです。
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はじめに。
僕は「ヒモになりたい」と思っています。
正直に言ってしまえば、学校も仕事も何もかも面倒くさいと思っている人間です。
(理由を書くと長くなるのでここでは省略しますが。)
要は皆、楽をしたいのです。
楽に生きたいのです。
もし、みなさんが生きている限り毎月、いわゆる富裕層の所得分を
手に入れられる、という制度ができたらどうします?
それでも仕事を続けたいと思いますか?
学校に行きたいと思いますか?
僕はそこまでして続ける人はそういないんじゃないかと思います。
学校も仕事も生きるための手段だからです。
必要だからあるのです。
では、上の質問で”YES”と答えた人にお聞きします。
「あなたがそこまでして仕事(あるいは学校)を続けている理由はなんですか?」
ーーー
僕の考える「ヒモになる」ことの定義を述べたいと思います。
「ヒモになる」とは「自分に素直になる」ことの究極である。
ということです。
前述で述べた通り、
学校も仕事も抜けだして「楽」になる、ということが素直な気持ちであるならば、
そうする、ということです。
ただ、ここで注意して欲しいことが一つ。
「自分に素直になる」ということは、
「自分のやりたいことを素直にやる」ことを意味しますが、
自分のやりたいことは日々変わっていくものです。
「ヒモになる」という形自体も日々変わっていくのです。
もしかしたら学校や仕事から抜けた後、戻りたくなるかもしれません。
人間なんて所詮そんなものじゃないでしょうか?
―――
ここまで述べて、こう思う人が大多数だと思います。
「じゃあ、何で学校に行っているんですか?」
「インターンなんかやっているんですか?」
「アメリカ留学なんて行ったんですか?」
あpだsっkdsdsksjl….*※dsええr?
お答えしましょう。
その理由は単純明快です。
「面白そう」だからです。
「カッコイイ」と思ったからです。
僕は生まれてこの方、親の教えと正反対なことをしてきました。
親の教えに従うことが何か嫌だったんです。
かっこ良く言えば、
親の教えに従うことはつまらないことだからです。
要は、親の教えに従ってしまうと、
偶発的な物事の発生が親の想定範囲外に及ぶことはほとんどの確率でありませんよね?
そんなのつまらないじゃないですか。
僕らは皆、日々選択を強いられているわけですが、
僕は物事の選択に対しては絶対に
「面白そう」、「カッコイイ」を基準にしています。
なぜなら、僕は昔から損得勘定というもの自体が嫌いだからです。
僕自身、損得勘定を基準にして、物事を選択出来るほど器用な人ではないですし、
そんな人になりたい思ったことは一度もありません。
僕が仕事をしたくない、ビジネスの世界に入り浸りたくない理由は
損得勘定を基準にして動く、
資本主義の流れに都合のいいように沿って動かされるロボットになりうる、
そんな、自分が怖いからです。
(もちろんそれが全てではありませんが)
そんな僕は周りから行動力がある、と言われることがあります。
それは非常にありがたいことです。
ただ、行動力なんていうカッコイイ言葉で締めくくられる程、
僕の行動力は大したことはありません。
行動力というのは、一つのものに対してどれだけ多角的な視点から、
面白く捉えられて、且つ選択まで行えるか、ということだと僕は思っています。
わかりやすく説明すると、
テーブルの上に置いてあるみかん一つを見て、
「あっみかんだ」と思う人と、
「えっ!?これもしかして…みかん?」と思う人と、
「この小ささで…みかん?えっなにこれ…写真撮ろう?」
と思う人がいるわけですよ。
(ごめんなさい、例が悪すぎました。)
面白い視点で物事を見れる人ほど、
その者に対する興味のわく度合いが違います。
なので、僕は行動力がある、というよりは
物の見方が違うだけかもしれません。
あとは人一倍、感情的なのかもしれません。
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さて、
これだけ長文にまでして、
僕の人生観についてちょこっと語ったわけですが、
みなさんはどう思いますか?
みなさんは「自分の人生」について
どこまで真剣で、どこまで適当ですか?